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2005年8月30日 (火)

イラク情勢に思う 05/0830

 イラクで新憲法草案を巡るスンニ派と多数派であるシーア派、クルド人勢力との交渉が28日決裂し、10月15日国民投票にかけられることになった。
この投票で2/3以上の反対票が投じられれば草案は否決、国民議会は解散で一からの出直しとなる。

 「スンニ派住民が積極的に投票に参加すれば草案が否決されるかもしれない」とタラバニ大統領も懸念しており、予断を許さない状況です。
 今回の交渉で、かろうじて対立ずに協力し合ったシーア派とクルド人の間でも連邦制を巡っては当初対立し、後にシーア派が妥協した経緯があり、またシーア派の宗教的な主張はスンニ派により近い、など決して両者の結束が固いわけではありません。
国民投票の結果によっては、かつてのアフガニスタンのような内戦状態に陥ることも十分考えられます。

 先月からイラク駐留米軍のトップなどから撤退の時期について錯綜した情報が飛び交っていますが、いずれもシナリオどおり年末までの正統政権が樹立したらばという前提の上での話であり、たとえ内戦状態にまで陥らなくとも、日程のずれは米軍の駐留、ひいては自衛隊の駐留にも多大な影響を及ぼすことになるでしょう。
 全ては10月15日の国民投票の結果しだいと言う事です。
(日本政府は自国の総選挙も大切ですが、最悪のシナリオも含め、イラク情勢、殊に駐留自衛隊の去就を含めた行動について、今の内から検討しておく必要があるのではないでしょうか)

 また、イラク情勢で気になる点は先月の中旬ごろからの隣国イランとの急接近です。
16日に両国間にパイプライン建設が予定されているとイラクの石油相から発表され、翌日からの首脳会談で経済、治安面での協力が協議されました。
 イランはご存知のように米国から「悪の枢軸」呼ばわりされており、核開発を巡っても米国と対立している国です。
もちろんイラク政府もそのことは重々承知していながらの関係改善でしょう。
 まあ考えて見ればイラクの周辺国「トルコ」「クウェート」「シリア」「ヨルダン」「サウジアラビア」等は皆スンニ派勢力が国民の7割以上という国々です。(というよりイスラム世界全体から見ればシーア派自体少数派と言う事なのですが)
 米軍が永遠に駐留し続けることは無いので、米軍撤退後を睨めば同じシーア派の国同士仲良くしてゆこうというのは自然な流れではあります。
 今後イラク国内がどうなるにしろシーア派勢力にとって同じ宗派の友好国が隣に控えているというのは何かと有利であるとの両国政府の思惑があるのでしょう。

 すんなり正統政府が樹立されるにしろ、内戦状態に突入してしまうにしろ、バックにイランの影がちらつく国になるとしたら、二年以上に渡って多数の犠牲者を出しながら、いったい米国はイラクでどういう国づくりをやって来たのでしょう。

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2005年8月27日 (土)

「新党日本」結成に思う 05/08/27

 どうも、前回と同じようなタイトルになってしまうので敢えて触れないで通ろうかとも思いましたが、そういうわけにも行かず、今回も新党について取り上げます。
北海道でも鈴木宗男氏が「新党大地」を旗揚げし、どうも最近「選挙対策新党」が次々と結成されているようですね。
 まあ、これらの新党の影響力については既存政党からは殆ど相手にされていないようですけれどね。
過去にも様々な「新党」が結成されて来ましたが、いずれも短期間で他の政党へ集合離散して消えて無くなっております。
有権者としては「新党○×」とか「○○新党」など新党を看板に掲げている政党は期間限定政党であると認識するのが正しい判断と言う事なのでしょう。
(そういえば13年前に僅か2年程で消えて無くなった「日本新党」なんて政党がありましたっけね)
「新党大地」はいささか性格が異なるものの、他の二党は郵政民営化反対派の自民党元衆議の受け皿新党であることから、議員を融通したり、民主党元衆議が入り込んだりで選挙後の動向が何となく読めてきそうですね。
逆にだからこそ刺客まで送り込まれても新党に合流するのに躊躇し、敢えて無所属で立つ候補者が多いのでしょう。
 その点から読み解くと、ただでさえ県庁不在の時間が多すぎると批判されている状況下、新党の顔として担ぎ出された田中康夫長野県知事が、選挙後は用済みで放置状態にされ今選挙最大の貧乏くじを引いた道化役になってしまうような気がするのですが、ご本人はどう読んでいるのでしょうかね。
「チーム日本」なんて浮かれている場合じゃないと思うんですが……

 最後に、前回も書きましたが「国民」だとか「日本」だとか勝手に新党の名前に使ってほしくないですよね。
だって、選挙結果報道で「日本惨敗」だの「日本敗戦の責任は?」だのまるでジーコジャパンか柳本ジャパンがボロ負けしたようで気分悪くなりそうですよ。
ご年配の方だと60年前の8月15日を思い浮かべて更に厭な気分になりそうで、本当かんべんしてほしいですよね。

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2005年8月18日 (木)

「国民新党」結成に思う 05/08/18

 昨日綿貫民輔氏、亀井静香氏など郵政民営化法案に反対票を投じた元衆議院議員らで新党が結成されましたが、これ自民党の反対派議員らのうろたえぶりが如実に現れていますね。
 衆議院解散などどうせ出来やしない、反対しても選挙では公認してくれるだろうと高をくくっていたのでしょうね。
 ましてや党から対立候補が送られてくるなど全くの想定外であったのでしょう。比例区から出ていた元女性議員などは、泣きながら出馬を断念しておりましたが、まあ小泉純一郎という人を完全に甘く見ていた結果という事で同情の余地はありません。全て自ら蒔いた種ですから。
 あわててドタバタと結成した新党ですが、結局政策も何も無く「反小泉色」だけがやたら目立つだけの政党のようです。まあ自民党反対派候補者の選挙用受け皿以上の物ではありませんので、掲げられた立党方針をどうこう言うのも無意味な気もしますが。
 結党に当たっての亀井静香氏のコメントがこれまた笑えました。たしか「新党で政界に大きなうねりを創り出して……」みたいな事を言ってましたが、事実は全く逆ですよね。
「小泉総理が創り出した大きなうねりに巻き込まれ、溺れかけている同志に助け船を出すために」結成したんでしょうに。
 それにしては船に乗り込む同志、少ないですね。

ただ新党の名前については一言言いたい。

「国民」の代表者みたいな名を勝手に付けるなよ!

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2005年8月15日 (月)

終戦記念日に思う 05/08/15

 今日は終戦(敗戦?)記念日と言う事で、月並みではありますが戦争と平和について考察して見たいと思います。
 まず始めに太平洋戦争は、日本がポツダム宣言受諾したことによって終結しましたが、記念日になっている8月15日、つまり1945年(昭和20年)8月15日前後の出来事を確認しておきましょう。

 7月26日 ポツダム宣言発せられる
     (ベルリン郊外のポツダムで行われた対日降伏宣言)
 8月 6日 広島に原爆投下
 8月 9日 長崎に原爆投下、ソ連満州に侵攻
 8月10日 ポツダム宣言受諾を連合国側に伝える
 8月14日 御前会議(天皇臨席の会議)で改めて受諾を決定
 8月15日 玉音放送(天皇自身の肉声による放送)により日本国民と帝国陸海軍に降伏が伝えられる
 9月 2日 降伏文書調印
              (東京湾内に停泊の米戦艦ミズーリー号上)

 8月15日を戦争終結の日と認識している人も多いと思いますが、上記の通り、連合国側に日本の意思を伝えたのが10日、最終決定を下したのは14日、書類上の降伏は9月2日であって15日に戦争が終結したわけではありません。
 まあ15日は直接国民が日本の降伏を知らされた日であること、御盆の最中で自然に戦争の犠牲者を悼む心情になれるため、この日を終戦記念日に設定したものでしょう。

 平和の尊さ戦争の悲惨さについては一年を通じて学校教育や報道等を通して伝えられ続けておりますが、それについて私は常々違和感と疑問を覚え、それがピークになるのがこの終戦記念日前後であるのです。
 その違和感と疑問とは、戦争について語るとき何故残酷さや悲惨さなど主に感情に訴える論調に終始するのだろうか、ということです。なるほど、戦争をを体験したことの無い世代にその悲惨さや愚かさを伝えてゆくことは大切なことです。でもそれだけで戦争を回避し、撲滅することが出来るのでしょうか。
反戦、平和をお題目のように唱えていれば戦争が無くなり平和な社会がやって来るのでしようか。

 例を挙げて考えて見ましょう。
現在日本人の四人に一人は癌で亡くなると聞いております。
生きている人間であれば誰もが恐れる病気、誰もが回避したいと思う病気です(戦争と同じですね)。
 癌に関する恐ろしさ、回避する情報が載っている記事や、番組は皆熱心に見ることでしょう。
早期発見の重要さ、転移の恐ろしさ、日常生活の中でも癌に罹病するリスクを出来るだけ下げられればと努力もします。
でもそれだけで癌にならずに済むのでしょうか、撲滅できるのでしょうか。違いますよね、我々がいくら癌の恐ろしさ悲惨さを知って回避しようとしても無くなるものではありません。
 癌のメカニズムを解明分析し、対抗手段を探し出し臨床試験を繰り返す研究者達のたゆまぬ努力によって癌を征圧し撲滅することも可能になる訳ですよね。実際早期発見できれば大抵の癌は死病ではないと言えるレベルまで研究は進んでいると聞いております。

 翻って戦争に対する我々の対応はどうでしよう。
戦争の悲惨さ、愚かさについては熱心に啓蒙されております。
では戦争はどのように起こるのか、起こった場合どのような手段が用いられ、どのように推移して行くのか、そしてどのように終わるものなのか、戦争はどのように分類出来る物なのか、あるいは分類など不可能なのか、戦争を回避するための処方箋はどのようなものがあるのか、逆にどうなれば必然的に戦争が起こるのか、身近な子供に質問されてあなたは明確に答えられるでしょうか。少なくとも子供の質問に対して自分の考えを明確に述べられるでしょうか。
 戦後半世紀以上かかって後世に伝えることが出来るのは、戦争の悲惨さと愚かさだけでしたでは、あまりにも情けないのではないでしょうか。

 戦争と平和を語る上で、我々日本人に決定的に欠けているものは、戦争そのものの本質についてもっと研究し理解することだと思うのです。たとえそれがグロテスクでも目を背けたくなるものでも戦争のはらわたを掴み出して真摯に学ばねばならないと思うのです。
  癌撲滅のために日夜努力する研究者達のように。

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2005年8月10日 (水)

郵政解散選挙に思う 05/08/10

 小泉首相の構造改革の本丸、郵政民営化関連法案が野党及び自民党議員の反対によって参院本会議で否決された。
 この件につき自民党議員の反対の態度には理解しがたいものがある。

 まず、国会での採決に際しては、法案の中身を良く吟味して賛否を判断をすべきであるが、反対理由として聞こえてくるのは「小泉総理の強引な政治手法に対する反発」のみであった。
こんな理由で反対票を投じては、感情の先走った非理性的な行動の誹りは免れないのではないか。

 次に、郵政民営化は小泉総理が総理大臣に就任するはるか以前から言及し「改革の本丸」と位置付け、それを承知で自民党は彼を総裁に選んだはずである。
それを採決の場になって、自民党所属の議員から反対票が出されるのはどう見ても理屈に合わない。
自民党のマニフェストにも記載されている事項でも有り「状況が変わったから」の一言で処理できるような軽々しいものではない筈である。

 更に法案に反対した議員に問いたい。
350兆円といわれる郵貯・簡保が『道路公団』など特殊法人や不当な利益を得ている企業への資金源をストップする代案があるのか。
 郵政と政治の組織票とお金と利権にまみれた関係を断ち切る代案があるのか。
いや、これは愚問であったかもしれない。
何故なら、郵政民営化に反対する自民党議員そのものが田中内閣時代に作り上げられた、集票装置、集金装置としての「郵政」にしがみついている人たちであり、まさにその流れを断ち切るのが小泉改革であるからだ。それは反対派にとって自らの手足を食い潰すに等しい暴挙であるからだ。
この点から小泉総理が法案に反対した議員の公認を断ち切るのは至極当然の事であると思う。
 今回の選挙を「自民党の分裂選挙」という人もいるが、むしろ「膿み出し選挙」と言うほうが相応しいのではないだろうか。

 では、今回提出された法案の中身は完璧なものかと言えば、残念ながらそれには程遠いのが事実であろう。よく言われるように採算が取れない過疎地の郵便局の統廃合の問題や、今までどおりの低価格、高金利のサービスが実現出来るのかと言った問題等が挙げられ、他にももっと詰めるべき点は多々あるだろう。
 しかし、法案が通過しても直ぐに民営化されるわけでは無い。時間を掛けて徐々に進めてゆくべきものである。
その過程で修正することは十分可能であるし、問題点を解消し、より良い道筋を作ってゆくのが与党国会議員の仕事ではないのか。
少なくとも反対票を投じ「廃案」にするのが仕事ではないはずである。

 今回の郵政民営化法案が廃案となった事で最も恐れるべきは、我が国の構造改革の流れを止めてしまうことではないのか。変人であろうが、強引であろうが、問題があろうが、これを断行できるのは現時点では(残念ながら)小泉内閣の他あり得ないと思う。

 改革の本丸と位置付ける郵政民営化法案が通らずに、他のどんな改革が可能であるのか。公務員を削減して小さな政府を作るなど夢のまた夢に終わるであろう。
 国政に国民の意見が不在だと言われ続けている点からも、郵政民営化の賛否を直接国民に問う今回の選挙は、大変意義深いものだと思う。

     ***************

 私が選挙権を有してから20数年になりますが、過去の選挙において一度たりとも自民党に投票したことはありませんでした。
 しかし、今回だけは節を曲げざる終えない状況です。本当は民主党にもっとしっかりしていただければ、安心して政権交代を託せるのですが。残念な事に自民党以上にひどい寄り合い所帯です。 呉越同舟どころか魏呉蜀まで一緒に乗っていながら、悲しいかな孔明先生はいらっしゃらない。
岡田代表の言っていることも一体どこの国の議員かとあきれることが多すぎて、残念ながら政権交代は時期尚早の感は否めず、せいぜい自民党のカウンターウェイトが良い所です。

「民主丸」岡田船長命ずる「全速前進」、躁舵手は「取り舵いっぱい」機関長は「後進全速」私の実感はこんなものです。

たのむから、しっかりしてくれ民主党!

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2005年8月 5日 (金)

市場競争原理に思う 05/08/05

 「競争原理」これは地球上の自然界における最も根本的な原理、あるいは「掟」と言っても良いかもしれません。
 また、資本主義社会は「市場競争原理」に基く自由な競争によって今日まで発展してきました。
 更に政府は「骨太の方針」の中で、医療、介護、福祉、教育など公的性格の高い分野に於いても競争原理を導入しようとしております。

 では「競争原理」を生活の隅々に浸透させることによって社会が活性化され、人々の幸福に寄与するのでしょうか。
 今回は、このことについて考察して行こうと思います。

 私が今「競争原理」と聞いて真っ先に思い浮ぶのは、JR福知山線の脱線事故と、JALを初めとする航空各社で続発するトラブルのことです。これらの事故やトラブルは「定時性」の過剰な追求の結果、安全意識が疎かにされ引き起こされたもの、と認識されております。

 確かにその通りです、表面的にはね。
JRもJALも最近になって「定時性を」を追求し始めたわけではありません。
 殊にJRについて言えば、旧国鉄の時代から「定時性」については国際的な評価も高く、職員はもちろん国民もそれを誇りとして来ました。
 JALにしても以前から様々な悪天候や気象条件の中、可能な限り「定時性」を確保しようと努力されてきたことと思います。
私は「定時性」の追求を否定するものではありません。それどころか、とても優れたサービスの提供だと思っております。

 では何が問題なのか。
それは「定時性」の追求そのものでは無く、過密スケジュールと無理なダイヤを組んでいる事にあるのです。

 何故そんな無茶なことをするのか。
JRの場合は民営化、JALの場合は規制緩和による競争原理の激化、つまり他社との競争激化が無理を強いる背景にあるのです。
他社よりも、より多くの乗客を、より安く、より速く、より正確に運ぶこと。これが至上命題になって行き、価格競争の激化→利益率の低下→それを補うための無理な増便→「定時性」を保つための無理な運行→そして事故やトラブルを引き起こして行ったのです。

 これは民間企業だけの問題ではありません。
官公庁が企業間に価格競争をさせ、出来るだけ安い経費で公共事業の発注を行おうというのが競争入札制度ですが、参加する企業側としては価格競争の激化は、利益が限りなくゼロに向かって減ってゆくことを意味しています。
 公共事業そのものが減っている状況では、赤字覚悟で仕事を確保しようとする企業も出てきます。
その先に見えてくるのは、業界全体の共倒れ。
これを避けるために創り出されたシステムが、天下りであり、官製談合であり、鋼鉄製橋梁を巡る道路公団の談合事件であるわけです。
 つまり競争原理の激化に最も強い危機感を持っているのは企業自身であると言えるでしょう。
(だからと言って談合を正当化するつもりは毛頭ありません。それどころか、なけ無しの給料から差っ引かれた税金が、そんな所にジャバジャバ使われていたことに激怒しております!
こんな大出血を許していてはどんなに増税して輸血しても、国は出血死してしまいます。いやその前に国民が出血多量で死にます。ああ、何だかまた腹が立ってきた。税金の問題は別の機会に改めて取り上げたいですね)

 「競争の結果体力の弱い企業が淘汰されるのは悪い事じゃない。勢いのある健全な企業が生き残り、より良い製品やサービスを社会に提供する。これぞまさしく健全な資本主義経済のあり方じゃないか」こう反論する声が聞こえて来そうですが、本当にそれで良いのでしょうか。

 競争の激化により、より弱い企業が淘汰されてゆく状況は、戦国時代に例える事が出来ます。
企業同士競い、時には吸収し、合併し、競争はやがてある一点を目指して収斂されて行きます。天下統一に向けて。
誰かが覇者になるまで戦いは続きます。
逆に言えば「誰かが覇者になった時点で競争は無くなる」ともいえます。
ここに、市場競争原理が働いた結果、競争の無い独占社会が現出するのです。
「ふん、そんなの理屈の中だけの話さ、現実にそんなことにはならないさ」とお考えの向きもあるかと思いますが、残念ながらこれって現実の話なのですよね。

 2000年6月6日米連邦地方裁判所から、ある民間企業を独占禁止法違反で2社に分割するよう是正命令が出されました。
そう、ある民間企業とは米マイクロソフト社のことです。
「Windowsのパソコン用OSにおける独占的地位を利用して、ウェブブラウザーなどほかのアプリケーションにおける独占を目指した」としての是正命令でした。
 米マイクロソフト社は、他社の買収、吸収合併等を行い急成長した市場競争原理の勝利者とも言える企業でしょう。
その会社を自由競争社会の擁護者ともいえる米司法省と19の州が本気で提訴したのです。
 まあ、最終的にはマイクロソフト側が控訴し、2001年6月にワシントン連邦高裁が分割命令を破棄差し戻しし決着。
現在もパソコン用OSにおけるマイクロソフト社の独占状態は続いています。
 つまり、市場競争原理が究極まで進むと、それとは対極にある1企業の独占という不健全な状況に陥ってしまう危険性を孕んでいるということです。

 他の業界だって同じでしょう、ガチンコ勝負で真っ向から市場競争原理でぶつかりあえば、各業界ごと(いろんな意味で)最も体力のある巨大企業1社ずつが生き残る社会が出来上がるのでは無いでしようか。その社会では最早競争原理という言葉は死語です。人々は競争の無い平和な社会で、独占企業一社が生産した物を買い、食べ、生活してゆくのです。「高い」とか「品質が悪い」と言っても仕方がありません、人々に選択の余地が無いのですから。

 これでは共産党一党独裁時代のソ連ではないですか。
「資本主義社会の競争原理が行き着いた先が、なんと社会主義同然の社会だった」マルクスとレーニンが墓から飛び起きてコサックダンスを踊りだしそうですね。

 「それこそ理想の社会だ」って世の中の大多数の人が思うのならともかく「そんなの嫌ンダ」ということであれば、無制限の競争原理を抑えるために最低限の「規制」は必要ということでしょう。
 殊に医療、介護、福祉、教育など公共性の高い分野での競争原理の導入には慎重な態度と、しっかりとした監視の目が必要です。
さもないと最も医療や介護や福祉を必要とする人々をばっさりと切り捨てる結果になってしまいかねません。

 なにしろ「競争原理」とは弱者を淘汰してゆく原理だからです。

あれっ、ひょっとして政府の本当の狙いってそれだったりして。 

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